脳なんでも相談室。許しと甘えの境界について lineblog.me/mogikenichiro/…
posted at 07:32:06
モンシロチョウは、春告蝶 lineblog.me/mogikenichiro/…
posted at 07:37:18
自分ができるかどうかわからないくらい新しいことは、脳の報酬系を活性化させる。新しさの目安は、それに不安を感じるかどうかだ。不安を感じるくらい新しいことがいい。つまり不安は避けるものではなくて、新しさの上にかかるスパイスである。スパイスだと思って受け入れれば、新しさの味わいが増す。
posted at 07:40:07
内田百閒の『阿房列車』シリーズは掛け値なしに素晴らしい。特に『第一阿房列車』の最初のエッセイは神品である。ユーモアと、自分や他人を客観的に見る目と、事大主義ではなく、一見取るに足らないくだらないことにこそ無限の人生の味わいを見る。随筆の鏡。私はヘビロテで何十回読んだかわからない。 pic.twitter.com/8ezBASxkye
posted at 07:44:45
感覚的クオリアは、タンジブルな個別性で立ち会わられる。一方、志向的クオリアは、不可視の「自己」から放射されていて、その末端はタンジブルではない。この非対称性の中にこそ、クオリア問題と自我問題を同時に解決するヒントがあるはずだ。言葉の意味は志向的クオリアに含まれる。
posted at 07:47:48
芸術の散歩道。vol.6 ジョン・ケージ「4分33秒」他。 lineblog.me/mogikenichiro/…
posted at 07:49:47
RT @Tak_Lion_Suzuki: @kenichiromogi 「阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。」 他人からどう見られても御構い無しで、自分のやりたいことをやり通す内田百閒と、世間の常識というものとの間にある壁が、「阿房」なのではないかと考えています。 pic.twitter.com/4N52LAu3gH
posted at 08:17:27